「続きはある」 07.05.20
使徒言行録28:11〜31
主なる神さまは、裏切り、背き、神さまの前から追放される
しかない者に、それでもなお心を注ぎ続ける方として、
ご自分のことを表されます。エデンの園から追放されるアダムと
エバ。 また、弟を殺して追放されるカインに対する態度からも、
そのような神さまであることを知らされています。
使徒言行録を読むと、後半は伝道者パウロの伝道記録の
ように見えます。しかし、主人公は、パウロでなくパウロを導く
聖霊なる神さまです。使徒言行録は、「聖霊言行録」と呼ばれる
こともありますように、聖霊なる神さまがどのように働きかけて、
教会を生み出し、どのようにして世界に救いを広めていかれたかが
記されたものです。
その使徒言行録が、最後にローマでの出来事として記している
ことは、ユダヤ人への伝道の様子でした。ここに描かれているのは、
ユダヤ人に語りかけることをお止めにならない神さまのお姿です。
背く者に心を注ぎ続ける神さまは、聞かない者にそれでもなお語り
かけ続ける神さまでありました。
使徒言行録で、神さまは、パウロをいつもユダヤ人のところに
遣わされました。敵対し、話を受け入れないことが予想できる
ユダヤ人のところに、何度も遣わされたのです。パウロがユダヤ人に
伝道しても、最後には「今後は異邦人のところに行く」との捨て台詞を
残して立ち去ることが常でした。ピシディア州のアンティオキアの
町でも(13章)、イコニオンでも(14章)、コリントでも(18章)、
エフェソ(19章)でもそうです。
しかし、神さまは、それでも次の町でパウロをユダヤ人のところに
遣わしました。そして最後の最後のローマでも、パウロを通して
ユダヤ人に語りかけていかれるのです。
頑なな者に迫り続けるのが、使徒言行録を通して示される
神さまの姿勢です。 それは、どうしても救いに迎え入れたいと
いう深い愛があるからにほかなりません。
その神さまは、頑なな私たちにも、愛を持って迫り続け、
聖書を通して語りかけ続けてくださっています。